
#25 小説家 京極夏彦さん〈前編〉
“読む人の感性と読解力が 物語を立ち上げる”
平成6(1994)年『姑獲鳥(うぶめ)の夏』でデビュー以来、文芸界に衝撃を与え続ける小説家の京極夏彦さん。<百鬼夜行シリーズ><書楼弔堂シリーズ><巷説百物語シリーズ>ほか著書多数、推理小説、妖怪小説、時代小説など多彩なテーマを描き、数々の文学賞を受賞しておられます。去る2月13日には、本学附属図書館ホールにて開催した特別講演会「行間の謎・紙背の解決」でご講演いただきました。本と電子書籍の在り方、本の魅力、私を変えた一冊(前編)、小説家になったきっかけ、図書館について、学生たちへのメッセージ(後編)などをお話しいただきました。

京極夏彦(きょうごく・なつひこ)
1963年生まれ。北海道小樽市出身。印刷博物館館長。日本推理作家協会 監事。世界妖怪協会・お化け友の会 代表代行。1994年 「姑獲鳥の夏」でデビュー。1996年 「魍魎の匣」で第49回日本推理作家協会賞長編部門受賞。1997年 「嗤う伊右衛門」で第25回泉鏡花賞受賞。2000年 第8回桑沢賞受賞。2003年 「覘き小平次」で第16回山本周五郎賞を受賞。2004年 「後巷説百物語」で第130回直木賞受賞。2011年 「西巷説百物語」で第24回柴田錬三郎賞受賞。2016年 遠野文化賞受賞。2019年 埼玉文化賞受賞。2022年 「遠巷説百物語」で第56回吉川英治文学賞受賞。2025年 第29回日本ミステリー文学大賞受賞。
―電子書籍の普及で、本の在り方にどのような変化があると思われますか?
紙が発明される以前のメディアとして、例えば石が挙げられます。今でも街角や公園などに文字が刻まれた石碑がありますよね。紙媒体ができたからといって、石媒体がなくなったわけではありません。後世に残すという意味で、石碑というメディアは今でも極めて有効です。「電子書籍が普及し、紙の本がなくなる」と危惧する声も耳にしますが、それぞれの在り方が異なるため、外的要因がない限りドラスティックな変化はないと思います。電子メディアは共時性があり拡散性が高いですが、継承性については脆弱です。プラットフォームがなくなった段階で一切読めなくなる。データが消失したら全くゼロになってしまいます。紙も永遠ではありませんが、保存状態が良ければ何百年という単位で保ちます。複製されていれば災害などで失われたとしても一斉にすべてが消失することはありません。だから、私たちは千年前に書かれた『源氏物語』を読むことができるのです。当時は筆写で複製数も少なかったわけですが、15世紀半ばにグーテンベルクの活版印刷機が発明されて以降は、短時間で同じクオリティのものが大量に複製できるようになりました。紙の本には歴史的継続性という電子メディアとは異なる特性があります。どちらが優れているか、価値があるかということではなく、役割が違うんです。15年ほど前、出版業界では電子書籍の登場により本が売れなくなるという懸念がはびこっていました。私は2010年、小説『死ねばいいのに』刊行の際、一般書籍と電子書籍を同時に発売する試みを行いました。結果として売り上げに全く影響は出ませんでした。どういう形態で読みたいかは人それぞれ。どのメディアを選ぶかは人によって違います。電子書籍の普及で、それぞれのニーズに応じた読書環境の選択肢が増えたということではないでしょうか。
―紙の本ならではの魅力は?
紙の本というのは、物理的に存在する物体であり、テキストだけではなく、印刷技術の発展により発明され、継承されてきた数々の要素で成り立っています。例えばフォントは、印刷物として読みやすい形を考え、使う場所や文章の内容に合わせて、視覚的に最も有効に伝えるために生み出されたもの。活字やレイアウト、印刷する紙の質、インクの色などと文章が調和するように熟考して作られたのが、いわゆる本です。文庫本、単行本、雑誌、新聞などいずれも、歴史の中で積み重ねられてきた知識や技術の上にできあがったものです。それは電子媒体にはない、書籍ならではの魅力なのであり、これからも大事に受け継いでいくべきものだと思います。

―“私を変えた一冊”は?
私は本を読んで自分が変わったと思ったことは一度もないんですよね。もちろん本を読んで感動することは多々あります。面白いとか、ためになるとか、勉強になるとか、読書は様々な心の動きを与えてくれます。でも、それで人間が変わることはないと思います。変わったという気になる人もいるでしょうし、それはそれでいいんですけど、でも、それはもともと自分の考えていることがテキストに反応して顕在化したということじゃないでしょうか。文章というのは、人によって受け取り方が異なります。契約書の約款や法律などの公的な文章は、誰が読んでも解釈が同じになるように書かれていますが、小説などは如何様にも解釈できるように書かないと広く読まれることはありません。万人に通じるように、どんな受け取り方をされても、それなりに面白いものでないと読者を獲得することはできないし、長く読み継がれることもないのです。読者が違う感想を抱く、それを許容する文章こそが良い小説と言えるでしょう。すると、その本に書かれていることを読み解き、物語を作り上げるのは作者ではなく読者ということになります。読者が物語を立ち上げるのです。立ち上がった物語は読者のものです。つまり、その本を読んで何かを感じ取り、何かが芽生えたとしたら、それは作者や本の力ではなくて、読者の感性と読解力の賜物だということです。もし本を読んで「私は変わった」と感じたなら、それは変わるべくして変わったということではないでしょうか。悩んだり迷ったりして他人に何かを相談する時、実は自分の中である程度答えが決まっていることってありませんか。それ、ただ背中を押してもらいたいだけですね。それと同じことで、自分の望んでいる何かを本の中に見つけ、それを憑拠に自信を得られることはあります。他の人が読めば違う解釈になるのかもしれないけれど、それは関係ない。そう読み取った人自身の力ですよね。