#5 芥川龍之介と「三つの指輪。お伽噺」〈前編〉

“「指輪」と「指環」、漢字一字の違いが発見のカギに”

これまで未定稿とされていた芥川龍之介のお伽噺が京都府立医科大学附属図書館所蔵の医学誌『體性』で発見されました。所蔵を確認できた医系大学6図書館のうち、1923年(大正12年)の発行当時の状態で所蔵していたのは本学図書館のみです。発見にいたる経緯や、今回の発見の価値<前編>、発行当時の状態で所蔵されていた理由、本の魅力<後編>について、田端文士村記念館の木口直子研究員に聞きました。


公益財団法人 北区文化振興財団
田端文士村記念館 研究員
木口直子(きぐち・なおこ)

1982年東京都生まれ。2012年より北区文化振興財団 田端文士村記念館研究員。「芥川龍之介 田端の家復元模型」の制作監修や芥川の命日に河童忌イベントを企画するなど、芥川をはじめ田端ゆかりの文士芸術家について研究。編著に『芥川龍之介 家族のことば』(春陽堂書店)、編集協力に吉増剛造『DOMUS X』(コトニ社)。


―木口研究員の研究や活動内容は?

2012年(平成24年)から東京の田端文士村記念館で研究員をしています。山手線の田端駅から徒歩2分という立地です。1945年(昭和20年)4月13日の城北大空襲で田端一帯はすべて焼けてしまうのですが、明治の終わりから空襲までの約50年間には、文士や芸術家たちが100人以上暮らしたという歴史があります。田端は約1km四方の小さな町で、そこに住む文士や芸術家たちにはさまざまな交流があり、当館ではそういった歴史を顕彰しています。私は主に芥川龍之介について、田端の家での交流関係を中心に、文士をはじめ多方面にわたる文化人たちとの交流、家族の証言、作品の背景にある当時の生活ぶりなどを総合して、その人となりを研究しています。

―今回の「三つの指輪。お伽噺」の発見のきっかけは?

2023年(令和5年)に古書店から「芥川龍之介の講演会の速記録がある」というお話があり、当館での入手にあたり調査をしました。1923年(大正12年)5月13日、慶應義塾大学の大講堂で開催された、『女性改造』誌主催の講演会。速記録によると、芥川は「講演の原稿を拵へるのは大変ですから、幸に書かうとして居つた御伽噺を申上げようといふのであります」と前置きし、「三つの指輪」と題した4幕から成るお伽噺を語っています。現在、岩波書店から出版されている『芥川龍之介全集』では、この講演速記録の内容は収録されておらず、代わりに「三つの指環(仮)」というタイトルで、完結してはいるけれども発表された記録がないため、未定稿として扱われている作品が掲載されています。講演記録の「三つの指輪」、全集収録の「三つの指環」、この「指輪」と「指環」、漢字一字の違いが今回の掲載誌発見のカギとなりました。

―そこから発見にいたる経緯は?

講演会では、速記者が耳で聞いて書き残しており、一般的な表記の「指輪」で記したようです。芥川研究に携わっていると「指環」を「輪」で調査したり、検索したりすることは、まずありません。しかし、講演会速記録の調査でしたので、念のため「三つの指輪」で検索し、ぺージを詳細に見ていくうちに、性の健康医学財団の歴史を紹介するページに辿り着きました。そこには、「財団の創始者である土肥慶蔵が刊行する医学雑誌『體性』に芥川龍之介が『三つの指輪』というお伽噺を寄稿した」と記述があり、驚いてすぐに性の健康医学財団にお問い合わせし、雑誌を拝見、実際に掲載されていることを確認したのです。これまでの芥川の事典や全集などにも『體性』への掲載については見当たらず、これは新たな発見なのではないかと気付きました。

―なぜ「指輪」と「指環」になったのか?

現在も、「三つの指輪」に関する芥川龍之介の直筆原稿が何枚か残っています。完全な原稿ではないので、いずれも草稿ですが、芥川自身は「指環」の字でしか書いていません。『體性』への入稿原稿も「指環」であったはずなのですが、掲載時は「指輪」となっています。速記録と同様、一般的な「指輪」の表記に編集で書き換えられたのではないか、あるいは単に誤植であるのかもしれません。単純に思われるかもしれませんが、この一字の違いで、これまでこの作品の存在は芥川研究に結びつくことがなかったのです。

―今回の発見の価値は?

『體性』第4巻第6號が発行されたのは1923年(大正12年)6月、私が情報を得て、発見したのは2023年(令和5年)6月、奇しくもちょうど100年後のことでした。芥川龍之介は、夏目漱石や太宰治に並ぶ日本の有名な近代作家であり、研究者もたくさんいます。若い研究者の中には「もう調べ尽くされているのではないか」と思っている方も多いかもしれません。しかし、まだまだ不明なことや研究の余地はあり、今回のように医学系という他分野に踏み込むことで、新たな可能性があるとわかったことには大きな意味があると思っています。芥川以外にも、『體性』には坪内逍遥や田山花袋など、多くの作家が寄稿しています。今後、『體性』自体の研究が進めば、近代文学におけるさらなる発見があるかもしれません。また、芥川研究の面で言うと、「三つの指環(輪)」は「千夜一夜物語」に材を得ていると推定しておりますが、残念ながら私自身はアラビア文学にあまり精通していません。きっとストーリーの中に、私が気付くことのできていない隠れた要素が含まれている可能性もあるはずなので、ぜひアラビア文学を専攻されている方にもお読みいただけたら嬉しいです。芥川は和漢洋の古典を題材とした作品を多く残していますが、世界の古典文学と芥川作品とを俯瞰して捉える研究は実はあまり進んでいません。今回の発見が、芥川研究における新たなアプローチに繋がることに期待しています。

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