旧図書館の思い出

小児科学教室 家原知子

 私が医師になった時には旧図書館(現在の本部棟)は現役でした。もちろん学生時代もそこに図書館はありましたが、卓球部員であった私にとっては、旧図書館棟は地下の卓球場の使用がメインで、階段を上って格調高い図書館に入るのはおこがましいと勝手に思っておりました。

 医師になってすぐに上級医から図書館で担当の患者さんの疾患について調べるように指導を受けました。どうやって文献を調べるのかもわからず、上級医に英語の論文はインディックスメディクス、日本語の論文は日本医学中央雑誌といういずれも重厚な何冊もある検索本でまず必要な項目を探して、そのタイトルから興味ある文献を推定してピックアップすること、ピックアップした論文は図書館の棚に自分で探しに行くこと、内容を見て必要と思えばコピーして、自分の物にすることを教えていただきました。夕方になると、図書館棟の階段を昇り、黴臭い匂いが漂う天井まで整然と書籍が並んだ空間に身を寄せました。狭い図書館に沢山の先生方がおられるにも関わらず、そこはとても静寂でした。先の文献検索を行って必要と思われる文献のリストを必死にメモし、目的の書棚上段へ梯子を使って辿り着いても、どなたかが持ち出されていると、その論文は見ることができません。やっと目的の論文に巡り合ってコピーをしようとしても、入り口付近の一、二台だけのコピー機は、ベテランの先生方が使用されていると、順番を永く待たなければなりません。コピーの順番を待つ間、若輩医師は座ることもできず重たい書籍を抱えて立って待っていました。コピー機の使用は確か一枚10円で多数の10円玉を持っていったように記憶しています。こうして、やっと手に入れた論文は、私にとっては貴重品で丁寧に読んだのを覚えています。

 今は自室のパソコンからWEB検索で簡単に多数の目的の論文を得ることができるようになりました。論文の読み方に慣れたためか有難さが薄くなったためか丁寧に読むことが無くなったかも知れません。今でも重要な論文はパソコン上のPDFではなく、紙に印刷して読む癖は研修医時代のなごりかもしれません。あの夏の黴臭い匂いの場所は嫌いではなかった空間です。

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