図書館にまつわる凡人の振り返り

小児外科 小野 滋

 元来、本を読むことがあまり得意ではなかったため、本や図書館にまつわる思い出として人に語るほどのエピソードを持ち合わせていないが、人生において何回か引き込まれるように読書に夢中になったことがある。最初に記憶にあるのは、ある時期に小学校の図書室に通ってむさぼり読んだシャーロックホームズの推理小説シリーズであった。マイブームは数か月ほどで終了し、再び図書館は遠い存在になった。その後、中学生の時には太平記などの歴史文学に少しはまったり、高校の先輩である川端康成や島崎藤村など数えるほどではあるが、何かのきっかけで小説に少しはまり込んだりすることはあったが、決して本と深く付き合うことなく大人になってしまった。私事であるが母方の祖父が、非常に本が好きで文学的造詣が幾分深かったので、小学生の頃は祖父母の家に遊びに行って壁一面の大きく高い書棚をあれこれ探るのが好きだった記憶はある。国内外の有名画家の画集全集も好きな愛読書(?)の一つであり、いつか本物を自分の目で見てみたいという憧れを持ったものであった。数少ない趣味の一つである美術館巡りはこの頃の影響かもしれない。
 大人になってからの図書館との付き合いといえば、やはり大学生生活において試験前の図書館での自主学習である。シアトル発祥の某カフェが日本にやってくる10年近く前の話であり、勉強するといえば図書館で気合いを入れ、集中せざるを得ない状況に自らを追い込んで究極の短期集中型で取り組んでいた。決して褒められた学習姿勢の学生ではなかったが、歴史的建築物である京都府立医科大学の旧図書館は独特の厳粛な雰囲気を纏っており、私のような凡人でも背筋が伸び、不思議と集中力を保つことができたように思う。思い返せば、大学に図書館がなければ私の卒業も危うかったのかもしれない。
 その後、医師になってまもなく河原町通りを隔てた広小路キャンパスに新しい図書館が完成し、臨床や研究における文献検索の場となるわけであるが、もちろん私が医師になったころは今のようにネットで簡単に文献検索ができたり、お目当ての論文をすぐに印刷できたりすることはなく、検索ワードを組み合わせて作った文献リストを片手に図書館の地下に足繁く通う日々であった。地下書庫の階段下でコピーを取っては医局に戻って読み、文献の孫引きで再び図書館に向かうというような研修医時代であった。偶然にも先日、1970年代のとある論文が必要となり、図書館のホームページの検索で蔵書されていることを確認した上で、10年以上ぶりに地下の書庫に向かった。粛々とした空気の中で可動書棚に製本された古い文献を見つけ出した際には、昔の感覚が蘇り感慨深く思うと同時に、図書館の維持、整備を継続していただいていることに心から感謝した。
 このコラムの執筆にあたり、これまでのこの図書館メールNewsで披露されている諸先輩方々の本や図書館にまつわる崇高なエピソードを拝見するにつけ、なんと刹那的で享楽的な学生時代、研修医時代を過ごしたものかと愕然となる振り返りの時間を過ごすこととなった。昨今は読書もスマホのアプリでながらに聴くことができる時代である。聴書というかどうかは定かでないが、若い時の読書の大切さを今更ながら痛感している凡人の振り返りとして、医学と関係のない分野の読書を若い人たちに推奨したい。

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