図書館の思い出

地域保健医療疫学 / 高嶋直敬

 学生の頃は研究室で研究をしていたので、大学の図書館には毎週のように通っていました。当時はPubMedで検索し、本文は図書館に探しに行く、そんな時代で、持てるだけ製本された雑誌を持ち、必要な論文の個所をコピーして、ようやく論文が読めるそんな時代でした。

 当時は、そもそも学問以前に、日々の出来事から、自炊のレシピまで、誰かに教えてもらうのでなければ、本、新聞、雑誌といった活字から知るよりにほかはなく、本が日常生活の一部だったような気もします。学生時代は今とは違いカリキュラムにも余裕がったので、いろいろな図書館にも行きました。一番印象に残っているのは中之島図書館で、以前は一般蔵書も多くあり、たまに行っていましたが、建物自体が知の拠点を体現しているように感じられました。

 インターネットが大学だけでなく、自宅からも使えるようになり、学術的なことはともかく、日々のちょっとした疑問から自炊のレシピまではインターネットで調べることができるようなりました。当初はインターネット上の情報そのもの、Wikipediaであっても質の点で疑問視されていました。今では印刷された百科事典は絶版が相次ぎ、Wikipediaや個人から大学の研究者、企業や大学といった組織がWEB上で発進した情報を検索する時代になりました。2005年だったと思いますがNatureの検証記事ではWikipediaは百科事典と同程度の誤りがあったと大きく報道されたことを今でも覚えています。とはいえ、質の玉石混交は当時から今も変わらないと思いますが。

 日常生活のふとした疑問まで図書館に調べに行くことはなく、とりあえずWebを調べることが徐々に増え、何かを調べに図書館に行くことは急速に減った気がします。またこのころには研究の一次資料となる論文も、徐々にPDFの形でダウンロードできるようになり、図書館に論文を探しに行く頻度は徐々に減ってきました。最近では、電子ジャーナルで入手できないが図書館に現物がある論文に出会うことはほぼなくなり、図書館で本や雑誌を手に取ることはほとんどなくなりました。少しの時間の隙間に検索して本文を見ることができるようになったという意味では、電子ジャーナルにアクセスするためのゲートウェーとしての図書館は、以前より頻繁に利用し、大変お世話になってます。  図書館なので、正しい使い方ではないのでしょうが、コピー機の順番待ちや、書架などでいろいろな先生方からいろいろと教えていただくなど、アカデミックな交流もあったと思います。そういう意味では知と人だけでなく本によって結びつけられた交流の場でもあったのかなと思います。デジタル時代だからこそ、対面での交流はより価値がある気がします。多くの研究者、学生の知の交流の場が図書館を核として作られ、仮想ではない人と人、人と知識が出会える場になればと願っています。

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