#5 小説家・推理作家 北村薫さん〈前編〉

“本の中に人生があり、 己の経験を深めていくことができる”

高校の国語教師をしながら「覆面作家」としてデビューし、のちに専業作家となったという異色の経歴をおもちの北村薫さん。ミステリをはじめとする小説の執筆、エッセイやアンソロジー編纂、自身の読書体験を綴る連作小説など、多彩な作品を手がけておられます。
そんな北村さんに本との出会いや図書館の思い出<前編>、読書の魅力や今秋ご出演いただく特別講演会について<後編>などをお話しいただきました。


小説家 北村薫(きたむら・かおる)

日本の小説家、推理作家。ミステリをはじめとする小説の執筆に加え、エッセイやアンソロジー編纂も手がける。早稲田大学元教授。高校の国語教師をしながら『空飛ぶ馬』(1989年)でデビュー。日常の謎を鮮やかに描く推理小説で人気を博す。『鷺と雪』(2009年)で直木賞受賞。ほかに『スキップ』(1995年)、『いとま申して』三部作(2011年~2018年)、『水』(2022年)など。


ー本との最初の出会いは?

まだ字も読めない幼い頃、5歳ぐらいだったでしょうか。兄が読んでいた漫画を見て、面白そうだなと思い、父に「本を買って欲しい」と頼んだんです。「じゃあ買って来るよ」と出かけた父の帰りを楽しみに待っていたのですが、買ってきたのは漫画ではなく『トッパンの絵物語・イソップ1』という絵本。漫画雑誌が欲しかった私はがっかりして泣いてしまいました。泣き止んでから、母がその絵本を読み聞かせしてくれて「これは面白いな」と、本というものの面白さを味わいました。そして『イソップ』“1”があるなら“2”や“3”もあるだろうと探して買い集め、本を揃える喜びも知りました。これが私を本の世界へと導いてくれた出会いの一冊でした。

(CP)1954年(昭和29年)刊行『トッパンの絵物語 イソップ』

ー図書館にまつわる思い出は?

私が子どもの頃は、近くに図書館がなかったんです。だから今、図書館へ行くと「これは宝の山だな」と思います。子どもの時にこういう場所があったらどんなに良かっただろうと、今の子どもたちがうらやましいですね。小学校の図書室では、たくさん本を借りて読みました。児童文学全集、『アルセーヌ・ルパン』シリーズ、『三国志』などが好きでした。江戸川乱歩の『少年探偵団』シリーズは、当時の図書室にはなくて、町のあちこちの書店で探しましたが、なかなか揃わない。今の図書館にはだいたい揃っていますから、小学生の時の憧れが、現実にあるのだと感慨深いです。高校生になると、学校の図書館の詩の全集から「この詩はいいな」というのを見つけて、友だちと見せ合っていました。中学時代に萩原朔太郎の詩に出会い、非常に惹かれたことが、詩を好きになったきっかけでした。まるで狩人が獲物を持ってくるように、自分の見つけた詩を得意げに友だちと見せ合っていたことは、図書館での楽しい思い出です。

ー図書館とはどんな場所?

同じ本でも、小学生の時と、青春時代と、中年になって読むのとではイメージが変わります。人生経験によって読む人の主体が変わる、例えば恋愛物語なんかは、誰かに本気で恋をして、失恋した人だからこそわかることもあるんです。私も高校生の時に読んで、全然わからなかった本を、大人になってから読んで「これは傑作じゃないか」と思ったこともありました。本の中には人生があり、いろんな本を読むことで己の経験を深めていくことができる。すると見える世界も変わってくるし、人間として成長もします。また、若い時はもちろん、歳を重ねてもわからないことはいっぱいあります。わからないことを解決しようと努力するから、医学でもなんでも進歩してきたわけです。研究を続けて、わからないことを明らかにして道を拓いてきた人たちがいます。本の中で多様な経験をしたり、わからないことの知識を得たり、図書館はそういう機会に溢れた場所ではないでしょうか。それから、図書館の開架は素晴らしいですね。目的の本を探すうち、偶然に別の本を手に取り、開いて内容を見て、興味が湧けば、貸し出してじっくり読むこともできます。検索して簡単に本を見つけるのも便利ですが、探していた本ではない本との出会いがあるのも開架ならではです。ぜひ図書館に足を運んで、本の森の中に入っていくように楽しんでいただきたいですね。

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