
#29 映画監督 中田秀夫さん〈前編〉
“日本人のもつ死生観、幽霊への共感、 静かな恐怖がJホラー独自の魅力”
映画『リング』『仄暗い水の底から』など〝Jホラー(ジャパニーズホラー)〟の第一人者として世界的なブームを牽引してきた中田秀夫監督。映画・テレビのサスペンスやドラマなど幅広いジャンルでも手腕を発揮しておられます。来る12月11日(金)には、本学附属図書館ホールで開催の特別講演会にご登壇いただきます。制作における監督の役割、Jホラーと海外ホラーの違い、演出アイデアの源(前編)、私を変えた一冊、図書館の思い出、学生たちへのメッセージ(後編)などをお話しいただきました。

中田秀夫(なかた・ひでお)
1961年 岡山県生まれ。東京大学教養学科卒。在学中に蓮實重彦の映画ゼミに参加して影響を受け、1985年ににっかつ撮影所に入社。助監督を経て、92年にテレビ「本当にあった怖い話」で監督デビューし、その後渡英。帰国後の96年に「女優霊」で映画監督デビューを果たす。その後、呪いのビデオが巻き起こす惨劇を描いた鈴木光司のベストセラー小説を映画化した「リング」(98)が大ヒットし、ジャパニーズホラーの第一人者として知られるようになる。同作はハリウッドでもナオミ・ワッツ主演で「ザ・リング」(02)としてリメイクされ、その続編である「ザ・リング2」(05)では中田自身が監督を務めハリウッドデビューも果たした。また英国でサスペンス映画「チャットルーム」(10)も監督した。そのほかの監督作に「仄暗い水の底から」(02)、「クロユリ団地」(13)、「スマホを落としただけなのに」シリーズ(18、20、24)、「貞子」(19)、「事故物件 恐い間取り」シリーズ(20、25)などがある。
―映画やドラマの制作における監督の役割は?
映画監督と聞くと、撮影現場で「用意、スタート!」「カット!」と声をかける姿を思い浮かべる方が多いでしょう。映画でもドラマでも、世界共通のイメージだと思いますが、監督の仕事は現場だけに留まりません。監督がどの段階から関わるかは作品によって違うんですが、例えば来年撮影予定の映画では、まず「原作をどう映画化するか」をプロデューサーや脚本家と議論し、脚本を作り上げます。それと並行してキャスティングを行い、スタッフの招集、ロケハン、スケジュール調整、衣裳合わせなどの準備を進めます。そして撮影現場では、キャメラマンと相談しながら撮影を、そして俳優と対話しながら演出を取り仕切り、撮影後は、編集、音楽や効果音、CG作業まで、作品全体の面白さやクオリティを担保して統括します。つまり映画の中身に関わる総責任者なんです。ちなみにヒットが求められる商業映画では、お客さんへの分かりやすさや収益性を考えるプロデューサーと、作品としての理想を追い求める監督が、お互いに意見をぶつけ合いながら一緒に作り上げていくことが多いですね。
―監督の醍醐味とは?
初監督作は1992年、テレビの短編ホラードラマでした。それまでは、にっかつ撮影所で7年間、助監督をやっていたんです。監督として迎えた撮影初日は本当に緊張していまして。早朝、ロケ地近くの港に行って、「用意、スタート!」って一人で練習してたんですよ。あの声って、もちろん合図ではあるんですが、スタッフやキャストに気合を入れるというか、現場を元気づけるみたいな意味合いもあるんです。本番で初めて「用意、スタート!」と声を出した時、助監督の時とは違う感覚があって。「自分の合図や指示でこの現場を動かしてるんだ」という醍醐味を感じ「あ、俺って監督に向いてるな」と確信したのを覚えています。助監督時代にたくさんの監督の仕事を見て「俳優さんにはあんな風にアドバイスするといいんだな」とか「あの監督の考え方、すごく共感できるな」って、身近で大先輩たちの良いところをたくさん学ばせてもらいました。その記憶が、今でもすごく活きていますね。アメリカでも撮影したんですが、ハリウッドだと常に300人くらいのスタッフが動いているんです。それだけの大人数をまとめてリーダーシップを発揮することに快感や面白さを覚えるタイプじゃないと、監督って務まらないんじゃないかなと思います。
―映画の世界に入られたきっかけは?
東京大学には理科一類で入学したのですが、1年半ほど経った頃に教養学科へ文転しました。そこで、後に東大総長も務められたフランス文学者で映画研究家でもある蓮實重彦先生のゼミに参加したんです。映像論や映画論を学び、映画をどう分析するかといった教えに深く影響を受けたことが大きなきっかけでしたね。実は新聞記者を目指していたんです。それが気づけばすっかり映画の世界にのめり込んでしまって。在学中には京都の大映撮影所で助監督見習いを経験する機会もあり、卒業後はにっかつ撮影所に入社しました。もし東大に入学していなかったら、映画の道に進むこともなかったかもしれません。進路を考える際、京都大学の理学部に行くか迷っていたんです。もし京大を選んでいたら私の人生は今とはまったく違うものになっていたと思います。

―Jホラーの第一人者と言われる中田監督が感じる海外ホラーとJホラーの違いは?
ホラー映画には、国や文化圏、西洋と東洋の宗教観や死生観の違いが色濃く現れます。例えば、アメリカの『エクソシスト』のようなオカルト映画は、神と悪魔という二律背反する〝絶対的善と絶対的悪〟の対立がベースにあります。見る人が悪魔にシンパシーを抱くことはありません。一方、日本の『東海道四谷怪談』のお岩さんは、夫に裏切られて命を落とした〝元人間〟です。恐ろしくもありますが、観客はお岩さんに同情し、無事に昇天すると「よかったね」と共感すら覚えます。この幽霊へのシンパシーが、日本独特の特徴と言えます。また、渡米中に15歳の少年から「あなたのクワイエット(静かな)ホラーが好きだ」という手紙をもらいました。当時のアメリカでは血しぶきが飛び散るスプラッター映画やゾンビが襲ってくるゾンビ映画が主流でした。そんな中、映画『リング』の貞子のように、テレビから出てきたり、背後にただ佇んだりしているだけで攻撃してこない幽霊は、欧米にはない恐怖として新鮮に受け入れられたんです。感情移入できる幽霊、動かず攻撃しない静かな恐怖という表現、そして日本人のもつ死生観の違いこそが、Jホラーの持つ独自の魅力だと思います。
―演出でのアイデアの源は?
映画史に残る名作のシーンからアイデアを拝借することはよくあります。『スマホを落としただけなのに』で、成田凌さん演じる殺人鬼がラストに登場するシーン。くるぶしまで隠れる真っ白なワンピースを着ているんですが、実はこれ、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』の主人公をモチーフにしています。マザーコンプレックスを抱え、母親と自分を同一化させて殺人を犯すという設定や、あの白い衣裳はまさに『サイコ』からの着想なんです。映画ファンの方ならピンとくるような分かりやすいオマージュですが、普段は元ネタがそこまで目立たない形で、さりげなく過去の作品の要素を取り入れることが多いですね。