#11 建築家 安藤忠雄さん〈前編〉
“色々な分野の本を読むことで 建築の世界が広がっていく”
世界的な建築家としてご活躍の安藤忠雄さん。打放しコンクリート、光と影の調和、自然との共生など唯一無二の感性で、住宅から、教会、ホテル、美術館など、国内外の数々の作品を手がけておられます。また、完成後の建物の周辺環境整備、地元大阪でのまちづくりへの取り組みなど社会貢献活動にも精力的に取り組んでおられます。独学での学びの中での本の存在、人生に影響を与えた一冊<前編>、図書館の思い出、若い世代へのメッセージ<後編>などをお話しいただきました。
建築家 安藤忠雄(あんどう・ただお)
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、1969年安藤忠雄建築研究所設立。代表作に「光の教会」、「ピューリッツァー美術館」、「地中美術館」、「上海保利大劇院」、「こども本の森 中之島」、「ブルス・ドゥ・コメルス/ピノー・コレクション」など。1979年「住吉の長屋」で日本建築学会賞、1993年日本芸術院賞、1995年プリツカー賞、2005年国際建築家連合(UIA) ゴールドメダル、2010年文化勲章、2013年フランス芸術文化勲章コマンドゥール、2015年イタリアの星勲章グランデ・ウフィチャ―レ章、2021年フランスレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールなど。イェール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授歴任。1997年から東京大学教授、現在、名誉教授。
ー独学で建築を学ぶ中で本はどのような存在でしたか?
独学というと格好いいですが、好きで選んだのではなく、当時の自分の学力と家庭の経済力の問題で、他の人のように大学進学が出来なかっただけです。ただ、それが理由で諦めたくないと思い、働きながら、必要なことは自分で勉強しようと決めました。
しかし、独りでは何をどう学んだらよいかも分からない。そこで近郊の大学に通う友人に頼んで四年間で使われる教科書を入手し、それを一年間で無理やり読破することにしました。といっても、私は大阪下町という非文化的 (笑) な環境で、少年時代からずっとガキ大将で暴れまわっていた人間です。身近にある本といえば貸本屋の漫画くらい、およそ文学とは全く無縁の生活を送ってきた。正直、毎夜の不慣れな読書はしんどかったですね。それでも、自身の職業に必要なものなのだからと、必死でかじりつきました。
そうして独学を続けて数年目、アルバイトで三宮の地下街の店舗インテリアをやっていたときです。たまたま通りかかった当時神戸新聞社長の田中寛次さんに声をかけられました。独学の身上を話すと吉川英治の「宮本武蔵」を強く勧められ、その足で全六巻を買って帰りました。田中さんには「三度読め」と言われたのに、結局3巻までを一回読むので終えてしまいましたが(笑)、日々真剣勝負の中に身を置き、力強く生きる武蔵の成長譚は大変刺激的で、覚悟をもって生きる武蔵の姿が心に響きました。建築家への道を急ぐあまり、本といっても専門書しか読まなかった私にとって、それは貴重な学びの機会になりました。ちょうど、建築の道を志す同世代の友人たちの口から出る、西田幾多郎や和辻哲郎といった哲学・文学の話題が気になっていた時期でした。時には建築から離れて、色々な本を読むことで、逆に建築の世界が広がっていく感覚がありました。 もちろん、建築は現実にモノをつくり上げていく仕事ですから、机の上で本を読んでいるだけでは身につかない。時間を見つけては、関西近郊の古建築から、最新の現代建築まで、日本中の色々な建築を見て歩きました。そうすると自然と次は世界に——となって、1965年、一般の海外渡航解禁の翌年に、アルバイトで貯めたお金をはたいて、単身ヨーロッパに渡りました。リュックには、最低限の生活用品と一緒に、皆が「建築をやるならこれだけは」という本を詰め込みました。太平洋を進む船の上で、大陸を走る列車の中で、移動中は読書に没頭しました。非日常の空間で目にする本の言葉には、違った重みがありました。ときに、本の内容と旅先での体験が重なる感動もありました。そのとき気付いたんですね。本もまた心の「旅」なんだと。以来ずっと本を集め続けています。おかげで、自宅も事務所も本で一杯で大変ですよ。
ー私を変えた一冊とそのエピソードを聞かせてください。
記憶に残っている本は色々あるのですが、自分の人生に影響を与えた、ということなら、やはり、近代建築の巨匠、ル・コルビュジエの作品集ですね。独学時代、20代前半の頃は、とにかく刺激に飢えていて、「何か面白いものは無いか」とよく古書街を覗いていました。そんなとき、大阪の老舗の古本屋である天牛書店で、ル・コルビュジェの作品集を見つけたんです。美しい写真と、生き生きとしたスケッチを一目みて「これだ!」と確信したのですが、高くて買えない。必死でお金をためるかたわら、他の誰かに買われないように、書店に行くたびに下の方に移動して隠すことを繰り返し、数カ月かけてやっと購入しました。
それから毎晩、図面のトレースを繰り返しました。次第に「ル・コルビュジエの空間を直に体験したい」「本人に会ってみたい」思いが募って——初めての世界旅行を思い立った直接のきっかけは、この「ル・コルビュジエに会いたい」だったように思いますね。私が到着する一か月前にル・コルビュジエは還らぬ人となっていて、結局、夢はかなわなかったわけですが、当時の自分が知る限りの「古今の名建築」と共にル・コルビュジエの作品を訪ね歩き、自身の建築の原点となるような深い感動を得た。この旅こそが、建築家としての私の原点です。